ごぶさたです。一年半ぶりの更新でブログの書き方をすっかり忘れてしまったます犬です。皆様こんばんわ
2012年ももうすぐ終わりを迎えるので、せめて一回くらいは!的なノリでまとめてみることにしました。 今回は山形ふるさとCM大賞のことについて触れてみたいと思います。 私は寒河江市商工会青年部の膝下、広報担当役員として2010年より3年間CM制作に携わりました。 結果は山形にお住まいの方はご承知の通り、2011年は寒河江市が大賞を頂き、続いて今年は特別賞(音楽賞)を授かり、2年連続で受賞できたことに大変光栄に感じております。 青年部の皆様、市の担当の皆様、そして撮影にご協力頂きました皆様に感謝御礼を申し上げます。 番組収録時に、ふるさとCMの老舗!山形県!という紹介でしたのでwikipediaで調べてみたところ歴史は古く 山形県は山口県についで2番目に早く行われているようです。山口県は1994年とさらに昔から行われていることにびっくりでしたが! ぼんやりとこの記事を書きながら振り返ってみると、青年部部員一同でいろんな方向性を模索しながら作っていたと思います。 2010年…ロングバージョン 我輩、個人的には超大作のつもりで「これチョー面白いから、絶対、賞とれる!」の意気込みで提出しました。今でもNo.1のつもりですけど。 結果、かすりもしませんでした。 審査会時に舞台で「製作」と名札に書きながら堂々と立っていた当時の自分が情けなかったです。 賞をかすりも出来なかったことが悔しくて悔しくて、車の中で帰り一人で泣いていた記憶があります。 「悔しい。絶対に負けたくない」 木村部長にこの思いを伝え、翌年の2011年加藤委員長(上記の動画の「が」の人)とタッグを組んでもう一度チャレンジさせて頂けることになりました。 翌年は前回の「明確なテーマが無かった」「身内笑い」の反省点を改善し、明確なテーマと事前に段取り良く、寒河江市(市の担当の方が)と打ち合わせを行い、慈恩寺という題材を固めて、そこから何をPRしていくのかと念入りな計画が始まりました。 ここの話へ到達する前の話に、寒河江市商工会青年部がふるさとCMに携わったのは実は2009年からで、2回とも賞が取れず、ここで賞を逃すと結果を出せないまま担当を外されてしまうのではないか。という焦りが部長としてはあったようです。 企画立案・段取りなどの計画は木村部長と加藤委員長。CMの根本的な中身発案は木村部長でそこから加藤委員長による細かい撮影日程の段取りと打ち合わせを行なって我輩が撮影・編集を行うと明確な役割が割り当てられました。 ところが2011年。3.11の大震災が発生 当初はCM自体も中止なのでは?どうする?どうする?!という時期もありましたが、時期が経過すると開催するという連絡が入り、復興支援の慌ただしさが残る中の制作進行でした。 ふるさとCM大賞2011年受賞作品 http://www.yts.co.jp/furusato/2011syou.html 提出期限の2週間前から毎日のように事務所で編集し、夜中の2時まで部長と委員長、我輩の三人で詰めの作業をしていました。山形のふるさとCMの難しいところは「素人が15秒に収める映像作品を創る」ことにあります。我輩が担当を始めた年から30秒から半分になってしまったのですが、まずこの時点で良い作品を作れる環境があるかで各市町村が篩にかけられます。 寒河江の場合は詰めの作業に入ると、1フレーム(1/30秒)をずらすかどうか。までの極限まで作品が研磨されます。 それと、放送波ならではの「言ってはいけないフレーズ」を意識して、且つ大衆が見た時に不快感を与えないようにする為の気配りも必要でした。 提出した時の市の担当の方から 「これ、やばいですよ」 頭が真っ白になりました。 ここで内容は書けませんが、キャッチコピーに問題があるとの事で一度持ち帰り、加藤委員長と木村部長でさらに話を詰めて、徹夜で作業。 女性をターゲットにしているため、我々野郎ばかりでは反応がつかめず、身近な女性の方々からも意見をもらって修正。 ギリギリのギリギリで、再度市に提出。 「お。これ、(賞を)獲れそうですね」 と評価を頂けたものの、我々はすでに1000回以上見た勢いでいるので、もう正常な良し悪しの判断が出来る状態ではありませんでした。なので、2010年とは対照的に手応えが自分の中でつかめないまま不安の連続で審査会を迎えます。 審査会当日。 受賞前、番組と同じようにすべての作品を見る形になります。 皆さん本当にいい作品ばかり ウチらは大丈夫だろうか。なにか賞がひっかかるだけでもいいな。と不安の連続です。 結果発表 特別賞! 淡々と市が発表され…寒河江の名が出てk…ない 優秀賞?!まさか、あのハイクオリティな天童市と肩を並べるのか?!うそだろうそだろー!…とで…ない この時点で、もう気持ちは終わりです。 あー、3年連続で賞にかすりもしないと…結果も出せずに敗退してしまうのか… 我輩はなんも役に立てられないカス野郎で消えてしまうのか 終わった と暗闇の中で まぶしい光が当てられ、自分の作った作品が大型スクリーンに映されるわけです。 それ以降は頭が真っ白になっていたのでよく覚えていないのですが、録画していたテレビで自分を見ると泣いてました。お恥ずかしい。 2011年当時、我輩はTwitter上で陰湿な嫌がらせを受けていました。 中身については探して頂ければログが出るでしょうから大いに探していただいて、今だから申し上げますが精神面でかなり追い詰められていた中でのCM制作。 ここは我慢して…黙って耐えよう それに加えて3.11の大震災。あんな天変地異は二度と起きないで欲しいです。そんな苦難な中で大賞を頂けたという感動と喜びは人生そうそう無いです。皆さんと共にコツコツと努力して作り報われた瞬間でした。 そして今年で三回目ですが、今回は初期の段階から「音楽」を盛り込むという構想が木村部長と加藤委員長で生まれていました。ただ、今度は我輩が音楽関係に無知という爆弾も抱え、また今年も「素人からのスタート」になるわけです。 そこで今回大活躍したのが委員会メンバー。作曲担当のPちゃんと男優になった設楽さん。Pちゃんはギターを持つとなんでも奏でちゃうウルトラソウルな人です。若手(とは言え我輩の一つ下)の設楽さんもいじられながら制作にご協力頂きました。 でも、今年の最大の山場は、提出期限の4日前になんと制作物がすべて白紙化した事 その段階で実質Volume2(2作品目)に突入していましたが、昨年受賞してみんな気が抜けたのか制作が後手後手に周り、クオリティが一定の水準に到達していませんでした。 ここで、ふるさとCMにおけるいい作品と分かるコツが「作品が長く感じる」です。いい作品は構成と着地がしっかりしている為、15秒でも情報量が多く伝わるので実際よりも長く感じます。寒河江ではこの時点ですごく短く感じる作品になっていたことになります。 ストレスで口内炎が何個もできた木村部長(こんなこと暴露して怒られそう)。ベットで寝れずに悩んだ結果、頭の中で奏でたのが今回のCMのフレーズだったそうです。 【第13回山形ふるさとCM大賞】 http://www.yts.co.jp/furusato/ 結局、今回の流れは提出期限4日前に再構想。提出2日前に歌の録音。提出日の午前中に撮影し、編集して納品。という宅急便に負けないスピード制作・納品でした。 この段階では、実は女性パートは圭ちゃん(本CM同様)と、声はなぜか我輩(!)でした それでも、感想として出たのが 「きれいにまとまってるね。」 最初、褒め言葉だと思っていました。 どうやら、「きれいにまとまりすぎて、何も残らないね。」という悪い意味だったようです。 ここで、また頭を抱えました。 もう時間がない。 実は今回…子供をターゲットにしています。 子供…学生とかが聴いてくれそうな中身へ変更を… ここで、歌唱合成ツール(UTAU)の獣音ロウの存在が脳裏をよぎりました。 初音ミクとかGUMIって特に若い世代から支持を得ているな…中学生の女の子に聞いてみると、クラスでは全員知っていて、好んで聴いているのはクラスでも多くいる。 結果は歌唱合成ソフトの声は好みがはっきり別れるが、若い世代に人気の分野。との事 ただし、VOCALOIDについては我輩が版権の仕組みを理解しておらず、すでに状況は明日提出の中で放送波に流れる条件で版権がクリアし、且つ印象に残る声を選ばななければならず、視野の広い選択ができない状況に陥っていました。 そこで我輩にとって身近なUTAU音源の獣音ロウ.Revoが登場するわけです。 木村部長と相当な議論をしました。 我輩と部長は、VOCALOIDの波に乗っていません。部長は世代が違うのと、我輩は流行にうといというぶっちゃけた問題がありました。その中で、獣音ロウの中の人でもあるユウマからも資料やサンプル音を貰いながら部長と交渉し、最終的に「ます犬の判断に任せたい」と一任される形に。 ……【思考中】…… 歌唱合成ツールは「より進化していく分野」という解釈でまだまだ発展途上です。 ここはあえて機械音として聞こえる様に加工しCMとして流すと視聴者にひっかき傷(印象)を残すことができるだろう。と 見ていなくても、獣音ロウの声が聞こえたら「なんだ今の声は?」と視聴者の目をテレビに戻す作戦です。 半分、手前味噌ではありますが、ユウマは天性の強運持ちです。本人は未成年のためまだまだ経験値が低く、力は持ちあわせていませんが運を引き寄せる努力を持ち合わせています。その力を肖りたいという我輩の甘えもあったと思います。 歌唱合成ツールの可能性と、獣音ロウ.Revo(ユウマ)の力を信じて、男性パートを変えました。 結果として、あの作品が仕上がり、特別賞「音楽賞」を授かることができました。 この賞は寒河江市商工会青年部としても構想段階から音楽に力を入れるという点で、積み重ねが評価された証となり喜ばしい受賞でした。 昨年は大賞受賞で県内毎日1本365回放送し東北でも流れ、今年も続いて年90本山形県内で放送されます。 改めて、ご協力頂きましたすべての皆様に感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。 …… 3年間、山形ふるさとCM大賞、寒河江市CM制作に携わらせて頂き感じている事があります。私たちの世代くらいになると、自身の「郷土愛」に触れる機会が少なくなっていると感じています。ふるさとが好きなこと。分かりやすく言うと、故郷を離れて生活する時に感じるホームシックになる感覚。あれです。 地元っていいなー。住みやすいし一緒に生活している人がなんとなく好きだなー。その想いをもっとたくさんの人が感じて自分の地元を好きになって欲しいし、たくさん興味を持って欲しいです。 まだまだ若輩者な私ではありますが、寒河江青年会議所、寒河江市商工会青年部、消防団にてお手伝いさせて頂き 仕事の合間を縫って一生懸命に活動される先輩の後ろ姿を見ながら、自分ができることで地元に尽くしてみたい。と前から感じていました。 そんな思いが募る中、4年前寒河江市商工会青年部で声がかかったのが山形ふるさとCM大賞でした。 自分の特技の映像編集を大いに活かしながら、地域活性化の一助になれて、さらに結果も出せる機会を頂けた寒河江商工会青年部には言葉に出尽くせない感謝の想いがあります。 私にとって、郷土愛の礎を築いて頂けたのが青年会議所であり、そこから実行の機会を頂けた商工会青年部と消防団という流れです。どの会でも先輩方から大変お世話になっています。 たくさんの方々から支えられて、私は幸せです。 去年、大賞受賞時のお祝いパーティで市役所の担当の方から、5年前に我輩が一人で市役所に飛び込みで「ふるさとCMを作らせて下さい!私なら賞を獲れます!」って来たのを覚えています。って言われました。 当の本人はすっかり忘れていましたが、本当なら。思いは伝わる、願いは叶う。ですね。 ただし、運を巻き起こすには協力と実力が必要。今回この機会を頂いて感じた私の感想です。 でも実際当時私一人で受けたとしたら、絶対に賞が取れずに潰れてました。改めて寒河江市商工会青年部の力の大きさを感じます。仲間ってありがたいですね。 でも、そろそろふるさとCMの制作は引退したいです。 「大賞獲るまで頑張ります!!」と叫んでましたので…そろそろ息切れしています。 だ〜れ〜か〜さがえの〜CM〜つくって〜〜 あ 獣音ロウを忘れてました UTAU獣人としては初の地上波放送らしいです。中の人共々ガッツポーズです。 我輩としても周りとはベクトルの違う手法で、獣音ロウが広く伝わえることができるのがうれしく感じています。 次は〜……●●●だ!!!! 周りからどう見えているかは分かりませんが、なかなか中では創作がうまくいかなくていつもぎくしゃくしてます。本当はオリジナル曲のPV作りたいけど我輩の時間が全くないし、環境も整わない…。でもすてきな方々と出会いが多くて、我輩の知らない世界が見えたりして、獣音ロウと出会えて嬉しいですし、すごく楽しいですね。ユウマに感謝しています。 世界は広いです。我輩もまだまだ井の中の犬です。きゃいん! ふるさとCMを通じてUTAUの可能性が強く現れたので、これからもユウマと二人三脚で創作に意欲をぶつけていきたいと感じております。スタジオムゲンと獣音ロウに乞うご期待!!長文を最後までご覧いただきありがとうございました! |
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どこかの都市の繁栄のために、どこかの地方の村が犠牲にしてでも日本経済の発展を推し進めていくべきなのか。
ありえない。
南相馬のボランティアに向かう途中、飯舘村を通過していきました。 周辺は福一の半径20km圏内である警戒区域を除いて放射線が高い数字(7月14日現在2.83μSv/h・年間累積24.8mSv)を出している小さな村です。 テレビでは村民の97%が自主避難を行い、村役場も隣の福島市に移設したと伺っています。 村の中央に南相馬と福島市を結ぶ道路があるため、車の通りは比較的多いのですが 田んぼのほぼすべては野ざらしで雑草が生え、町は建物が壊れてもいないのに人の気配が無く 我が町寒河江でも震災当日の大停電で起きていたように、ゴーストタウンの空気が不気味に漂っていました。 なぜ日本経済発展の為に、我々のような地方が犠牲にならないといけないのでしょうか。 先日、川俣町に足を運んだ焼き鳥屋さんも、客足がパッタリで開店休業状態だと嘆いておりました。 例えば私の地元でこんな事故が起きたら、お店も閉店、営む父も生きる望みを失いいつ首をつるか分からない状態を、私が毎日不安で付き添うような日々を想像します。 極端な申し分かと思いますが、原発を維持(縮小も含め)していく場合そのような犠牲者が今後また起こる事も踏まえての電力使用と自覚をしなければならないはず。 そんな中で自主待避区域(福一半径30km)内のコンビニの軒下にツバメの巣が作られているのを見つけました。
放射能で恐れるのは人間だけのようです。 生きていく上での許容量を超えなければ(気がつくもなく)普段通りの生活。それが吉と出るか、凶と出るのか・・・ 本当に、本当に、福島の経済が破壊されてでも福島産の食べ物に距離を置かないといけないのでしょうか? 少しでも役に立てられるのであればと福島産の食材を食べる、料理に出したいと意欲が沸いているのに情報不足による汚染の拡大は日々増していくばかり。 もっと精密に検査して、食べられるもの、食べられないものを明確にして告知してほしい。 いろんな葛藤を持ちつつ、南相馬市のボランティアセンターに到着
正直全く0に近い人数かなと思ってはいたものの、割とたくさんの方々が参加していたようでした。 南相馬でのボランティアは初めてなので受付を済ませると、無料で帽子をゲット
「本日のニーズ(ボランティア作業)は掲示板に貼り付けていますので、作業を希望されるニーズに付箋紙を貼り付けてください。」 という事でじーっと何枚かを見渡すと、がれきの撤去や清掃活動の中に「放射線量が比較的高い1.5μSv/hでの作業のため、連日の作業は控えてください」というニーズを発見 津波で流された写真の復元作業を行うと言うことで、体力のいらないのと、参加人数が少なかったので付箋紙を貼り付けてみました。 すると、ボランティア参加5人が案内されたのは、警戒区域まで数百mの地点、南相馬市の馬事公苑でした。 大きな地図で見る 入り口のすれすれで道路が封鎖されており、自衛隊の隊員を横目に敷地内に進入。 ここでは被災者の方のプライバシーを扱う作業のため、撮影の一切を禁じられています。 洗浄プールで一時的に洗われた写真をここに集約させて、アルバムを開き、ぐちゃぐちゃになった写真の中から顔が判別できるものすべてをとりだし、泥まみれになった写真をウエットティッシュで拭いて泥を落とす作業です。 時折骨壺や位牌なども洗う作業があるだとか。10時からの作業でお昼休憩もはさみ、3時半までの作業。 お昼時に南相馬市在住のボランティアの方と話をしたのが印象的でした(ここでは伏せさせていただきますが) 一枚一枚丁寧に作業して、個人で70枚近く処理をして終了。 帰りにボランティア向けに作られていた自炊の冷やし中華を頂いて、
川俣町の道の駅にも寄って川俣シャモのお肉を発見
川俣シャモのお肉もお土産 まだまだ先は遠いですが、一歩一歩前進していきませう! |
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